内科医のアダルトチルドレン体験談

私は内科医になるまでもアダルトチルドレンとして、トラウマを抱えた人間として生きて

おりました。
昔はアダルトチルドレンという捉え方を自分にしておりませんでしたが、確かに生きにく

さを抱えて生きていたのだと思います。

・症状は、
不安神経症
アダルトチルドレン
トラウマ
による苦しみがありました。

内科医になってからは、次第に生きにくさが悪化していき、鬱状態がひどくなっていきま

した。
年々、疲れ、落ち込み、不安感、孤独感、悪夢、不眠症が悪化していきました。

私には家族もあり、子供にも恵まれ、医師の仕事もしているため、世間から見れば、悪く

無いといったところなのでしょうが、自分の心は嘘がつけません。
たしかに幸せなんだろうなと思いながらも、満たされぬ心が厳然としていつもありました

なぜそうなったのか? 
それはトラウマです。

幼少期から積み上げられていったトラウマが、私をアダルトチルドレンにしてしまったの

です。その上での神経症症状でした。

私の悩みのルーツ
幼児の頃の記憶は、所々あるのですが、既に最初の記憶から、生きづらさがあったと思い

ます。
不安で心配な泣いている私がいました。

一人っ子で、家では常に恐怖感などの良くない漠然な感情を覚えています。具体的に何に

対して恐怖を感じているかはわからないものの、おそらく親に対してでしょう。特に父親

です。
幼稚園の時、友達はのびのびと遊んでいるのに、こんな感情を持つのは私は変わっている

のではないか?と感じていました。

人見知りがひどく、なかなか人と打ち解けられず、もじもじしていました。仲良くなれば

仲良く遊ぶこともしていましたが、友達の親子関係を見ても、ひどい寂しさを感じていま

した。

親戚の家に行くこともきつい思い出で、年に一二回の集まりでも、無表情で座っているこ

としかできず、早く逃げ出したかったです。
そのため、親戚からはいつも「おとなしい」「無口」「何を考えているかわからない」と

よく言われていて、それもきつかったです。

子供らしさがない子供でした。
そうなったのも、私の家庭環境に原因があります。
父親を見ると、私は不安な気持ちになり、同時に体が震える感覚に襲われ、父親の声、足

音を聞くだけでも、落ち着かなくなっていました。しまいには、匂いをかぐだけで、吐き

気をもよおすほどになっていました。

父親は医者でした。その父親も医者で、私はすでに医者になることを決められていました

その道以外は許されず、私のやりたいと思ったことも、その道に役立たないことならば、

容赦なく頭を叩かれ中止させられました。

時々父親はものを買ってくれますが、私が子供心に熱中して遊んでいると、バキバキに目

の前で壊してしまうのです。

しかも私の家は幸せではありませんでした。
みなイライラしてヒステリーを起こしていて、喧嘩が絶えません。

祖父母、父母、おば、それぞれが衝突し、激しい怒鳴り合いとヒステリックな叫び声が飛

んでいました。
それを聞いては、私はいたたまれない思いと心の深く刻み込まれるほどの恐怖感を持って

いました。
安心なんて文字は私にはありませんでした。

唯一親の目が届かない友達との遊びが、私を救ってくれましたが、その遊びすら、親の監

視下に入り、口を出され、友達へ恥ずかしいと思いと不安を感じていました。
だから、自由はありませんでした。

母親は、例えば、私が風を引いて寝込んだ時も、心配するよりも、風邪にかかった私の情

けなさ、至らなさを責めました。
看病をちゃんとしてくれるものの、小言を言われるだけなので、ほっといてほしい気持ち

でいっぱいでした。

父母とも遊び心がない、とてもつまらない、狭量な心しか無い人間でした。
子供時代に、私の遊びたい、はっちゃけたい心に制限をかけてくるため、後年私がとても

生きづらい人間になってしまうのも無理はなかったのです。


食事に関しても厳しかったです。
祖父母、父母とも口やかましく、私は食事作法がまずいと手を叩かれていました。
だから、おいしい食事も美味しいなんて思えなくなりました。
もっとバクバク食べて、それを微笑むような親の家庭で生まれたかったと何度思ったこと

かわかりません。

だから、食事が喉を通りづらくなり、学校給食でも一口も食べられないことも度々ありま

した。
だから、担任が親に言ったらどうしようという不安を抱えて、親と先生の面談の日のかな

り前から怯えて過ごしていました。


親の教育方針から、私は成績はずっと良かったです。
しかし、それでほめてもらえたことはあまり記憶がありません。
どちらかといえば、嫌味を言われたり、もっとできるように発破をかけられてばかりでし

た。

私も勉強は嫌いではなかったのですが、点数や通知票が発表される日は異常に緊張してい

ました。
それが嫌だから、もっと勉強するという、いい学習意欲ではなかったと思います。


いずれにしても、私は小学生の時、中学生の時、高校生の時と同じような心境で成長して

きました。
常に何かわからないけれど、不安感や孤独というものを持ち続け、勉強だけは一生懸命取

り組み、常に親の目を意識した行動ばかりしていました。

つまり、心の底から楽しめたことが本当に少なかったのです。
もちろん楽しんだり、笑ったりしていましたが、はたして今考えると、ただ周囲に合わせ

るために演じてやっていたのではないかと思えます。

人見知りはあったものの、仲良くしてくる友人にめぐまれ、医学部に入り、恋人もいて、

何不自由ない人間だと思われていたのかもしれませんが、私の心は実は空洞でした。

それが研修医を経て、本格的に内科医の仕事をするに従い、心のぽっかり開いた穴から、

自分では止められないほどの不安や孤独感というものが出てきてしまい、仕事も続けられ

ないぐらい苦しめられました。


自分の心はごまかしが効かない、それがよくわかりました。
もろい心の土台の上に築かれていた私の精神状態が、健全であるはずはなかったのです。

今から考えると、もっと中学生か高校生から潰れていてもおかしくなかったのですが、お

そらく医者になるという目標があった分だけ、気が紛らわせることができていたのでしょ

う。

目標を達してしまい、内科医の仕事も刺激が薄れ、ルーティンワークとなっていくと、惰

性に陥り、指針のあった精神が、急に土台から崩れていった感じでしょう。



  • 最終更新:2016-03-08 11:40:21

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